まず始めに、タイトルにエイジングと書きましたが、美容についてではありませんので悪しからず...。
数日前に購入した、井上光晴 著『明日 一九四五年八月八日・長崎』という小説を、やっと読み終えました。ページ数が多いわけではないのですが、登場人物が沢山いて、場面がころころ変わり、全編長崎弁!の為、解読にとても時間がかかりました。
この小説には、長崎の原爆が投下された前日、爆心地付近で生活していた人々の、戦時下ながらも普通の暮らしが描かれています。原爆投下以降の話は全く出てきません。主人公もいません。あえて言えば、登場人物全員が主人公です。この、全員が平等に描かれていることによって、「普通の一日」がより一層強調されていました。登場人物たちが当たり前に発する「明日」という言葉が、読む者の心を切迫します。読み終わってからしばらくの間、色々な思いを巡らして黙り込んでしまいました。
そして、ちょっと感じたことに、「そこまで昔の話のような気がしない。」というのがありました。そう感じた一番の理由は、日常的な話題や身近な事柄に関心を持ち、習慣や便利を追い求めて生きる人間の普遍的な部分を描いているからではないかと思います(やや違うタイプのストーリーではありますが、黒澤明監督の『生きる』にも同じようなことを感じました)。あとは、読み手の私が「ヨーロッパ生活の長い40過ぎのおばさん」だからかしら(汗)。
歳を取ると時間の経過を早く感じる
これはもうしかたが無い。「そんなこと無い!」という方にお会いしたいわ。20歳の時の20年前は大昔に感じるけれど、40過ぎてからの20年前なんてつい最近のことだもの(汗)。
子供の頃、周囲の大人から「あら、見ないうちに大きくなったわねぇ」「あっというまねぇ」等という言葉を繰り返し投げかけられ、「同じことばかりを繰り返す人達だな。」と、うっとうしく思っていました。にもかかわらず、気が付いたら、自分もすっかりそんな大人になっていた(汗)。
昨年、「戦後70年の節目」という言葉を聞いた時も、その辺を実感。
戦後40年が経った頃、私は中学一年生でした。両親とも戦争体験者(幼少時に)ではあるけれど、自分にとっての戦争は遠い昔の出来事でした。が、しかし、あの時点から今日までの30年は、あっという間に過ぎていった(と感じる)!
19世紀のフランスの哲学者ジャネーさんは、「生きてきた年数が増えるにつれて、心理的には1年の長さの比率が小さくなり、時間が早く過ぎるように感じる」と、言っています。
その他、この時間の経過の感じ方については、「過去を振り返った時に感じた時間の長さの印象で決まる」という見方もあるようです。
出来事が印象に残らないマンネリ化した毎日を過ごしながら老いていくと、時間の経過を早く感じるようになってしまうということでしょうか...。ま、印象どころか「歳をとる→記憶力が低下する→最近の事がうる覚え→鮮明に思い出せる過去が近く感じる→思い出せない時間はカット→結果、あっという間に感じる」というのもあるんじゃないかな。
楽しかったり集中していると時間が早く経つように感じ、嫌なことがあると時間が長く感じるという時もありますよね...あれは年齢ではなく、気持ちの問題か。
ヨーロッパに来てから100年前が最近になった
ヨーロッパに来てからというもの、古い新しいの感じ方が変わったと思います。
わたくし、イタリアのモンツァに いる頃は、築500年のアパートメントに住んでいました。この年数だけを聞くと、「凄い!お屋敷に住んでいたの?」と思われる人もいるでしょう。が、実際は、500年前に建てられた庶民の集団住宅。イタリアには、こういった物件がゴロゴロとしています。ちなみに、マルタやゴゾには、築500年以上の一軒家 やテラスドハウスも沢山あります。それだけ基本の街並みが変わってないという事ですね(新興住宅地などは別として)。あの、悲惨な空襲で焼け落ちたドレスデンでさえも、街並みを再建したわけですから。
とにかく、普通に古い建物に囲まれていると、知らずしらずのうちに感覚が麻痺していきます。17~18世紀の建物を見て「ふ~ん、最近の建物なんだなぁ...」と感じ、12~13世紀の建物を見たあたりで「結構古いんだ!」という言葉が出ます(汗)。日本でも、古都で生活している人々には、そういった感覚があるのではないかしら?
ちなみに、ゴゾで古いといえば、世界最古の宗教施設といわれる巨石神殿ジュガンティーヤĠgantija!
それでは、今日はこの辺で~♪