私は、イタリアに特に興味のある人間ではありませんでした。
無論、マルタという国がどこにあるかも知りませんでした。
学生時代は、大好きなポール・ウェラーの住むイギリスにあこがれ続け、
イギリスの本を熟読し、ロッキンオンを読み漁ってはポール・ウェラーの写真を切り抜き、
色々なイングリッシュティーを味わってみたり…と、
どっぷりユニオンジャックに酔い溺れていました。
イギリスに滞在することを決意
そして、初めてのロンドン旅行と共にその思いは爆発!!
せっせっと旅費を貯め、基本英単語500語を頭に詰め込み、
1996年4月「いざ、イギリスへ!」と、旅立ったのでした。
イングランド南部にて語学留学
事前に申し込んでおいた学校は、イギリス南部ワセックス州ボーンマスという海辺の街にありました。
安い!海が近い!!という理由だけで決めてしまい、多少の不安はあったものの、ヒースロー空港から長距離バスに2時間揺られて着いたボーンマスは、映画の舞台のような海辺街なのでした~。
滞在する地区は内陸部だったのですが、興奮状態の私は、荷物を置くとすぐさま
「いざ、海へ!」
と、歩き出しました。
そして、すぐに道に迷ったのでした(笑)。
地図もなしに磯のにおいを頼りに・・・ってね(^.^; 。
迷子になった辺りは、なんだか素敵な住宅地。お庭自慢のお家ばかり。
途方にくれること10分、庭でくつろいでいるマダムを発見!
片言の英語で、海の方角を尋ねてみる。
親切なマダムは、
「あらまあ、何処から来たの?えっ、今日イギリスに着いたばかりなの!」
などと言いながら、スニーカーを履き始め、
「私も散歩したいと思っていたから・・・」
と、海まで案内してくれたのでした。
歩くこと数分、真っ青な海が広がる。
マダムに何回もお礼を言い、岸壁の上に向かう。
「おおっ、見よ!真っ白な石灰質の岸壁だ。」
まだ肌寒い4月の海。
誰もいない岸壁の上に、いやにハイな日本人一名。
ちょっぴり不安なホームスティ
その翌日から、私のホームスティ&学校生活が始まりました。
ホームスティ先は、40才位の美系カップルと17才の息子ボウイー、4才の娘クレオの四人家族。
私が到着した時、ボウイーは家にいなかったのですが、他の家族の美形ぶりに、
「こりゃ、ボウイーは美少年かぁ?」
と、ホクホク。
ががっ、しかし、帰宅したボウイーは、ヘッドフォンを頭からはずさない、ややすかした17才の少年…。
私が挨拶してもシカト(泣)。
パパが叱り付けてやっとボソッと「ハロー」。
そんなものよ、そんなもん(T^T)。
ボウイーにはシカトされることの多い毎日でしたが(汗)、ママとクレオとは朝食を共にしていたこともあり、片言ながらもお話をしました。
家庭の事情も見えてくる…
二ヵ月位が経ったある日、ママが淡々と話し出しました。
ボウイーは前の夫との間に出来た息子で、その前夫はロンドンに住む画家で、家に飾ってあるいくつかの絵(パステル調でとてもラブリー)は彼の作品である等々・・・。
そして、その話を聞いた数日後、その前夫さんが家にやって来たのです。
学校から帰り、ダイニングのソファーを見ると、なにやら怪しいブラシの様な物が揺れている!?
見えるところの大部分はタトゥー、安全ピンピアスぶちぶちっの中年男性・・・のモヒカンが揺れている(笑)。
何を隠そう、コレがボウイーの本当のお父さん!
外見はこんなにハードだけど、中身はとってもラブリー。
「ああ、やはりパステル画」と、納得♪。
その日の夕方、キッチンにて、前夫、ママ&パパの三人が話し合いを始めました。
すると、突然、ママの泣き叫ぶ声が!
泣き止まないママを独り置いて、パパと前夫は、
「玉打ちに行って来る」と、外出してしまいました。
この二人で玉打ちに行っちゃうの??と、その時は疑問に思いましたが、
どうやら、この三人は、若い頃から友人だったようです。
その日の夜は、なかなか眠れませんでした。
他人の家に住み込むと、家族の事情が見えて来るのだなぁと。
翌日の朝食時、ママはやつれていました。
そして、「昨日はごめんなさいね。…もしかしたら、ボウイーを手放すことになるかもしれないの。」
と、悲しげに言いました。
ボウイーは中学卒業後、職を転々として働いていました。
いい加減そうにも見えましたが、実は、カレッジで絵の勉強をしたいという志があったのです。
でも、それを両親には言い出せなかったようです。
そして頼ったのが、本当の父親というわけです。
その後
家族の論争が続く中、私はアパートへ引っ越すことに決めました。
数ヶ月後、ボウイーはロンドンへ行ったということを、風の便りに聞きました。
ママは寂しいだろうけれど、ボウイーにはがんばってもらいたいと心から思いました。
まだ16歳だけど、もう16歳なのだから。